中萩古文書を読む会

やさしく学ぶふるさとの歴史〜中萩を歩いてみよう〜

 10月23日、公民館の『中萩セミナー』で日ごろのサークル活動の成果をもとに、身近な公共施設の生い立ちから中萩の歴史を振り返るというコンセプトで地域をご案内しました。

 明治22年に中村・萩生村・大永山村の合併によってできた中萩村の役場の跡が現在の公民館です。役場には後に農協となる組織の事務所も併設。昭和22年に役場南側にできた公民館は市内最初の設立でした。ここでは結婚式も行われ敷地内には大師泉からの流れ川や水汲み場があるなど、文字通りこの場所は地域の憩いの場であったようですが、当時の面影を残すものは入口の門柱のみとなりました。

 

なお東川東岸にあった藩境の標識は移築保存されています。

 

明治26年に設立された中萩小学校はかつて『広瀬学校』と呼ばれたように、広瀬家の尽力によって施設の充実がはかられました。広瀬次郎の全面的な寄付によって近代的な本館と校舎が建築されたのが昭和12年、その5年後には講堂『静脩館』も寄贈されています。町制が施行された中萩の公会堂としての役割を担った『静脩館』では様々な行事が行われました。『静脩館』の額は現在体育館に掲げられています。また正門西には広瀬次郎の顕彰碑があります。 

 

中萩中学校は昭和25年、多くの古墳があった横山丘陵に建てられました。南側は前回ご紹介した『岡の久保池』の跡です。校歌や生徒会歌に登場する高尾山にはかつて高尾城があり難攻不落を誇っていましたが、天正の陣の折、何とか城主の力になりたいと思った老婆がだまされて敵に城へ至る道を教えてしまい落城。城主は討死したという言い伝えが残っています。詳しくは『新居浜のむかしばなし』(新居浜市教育委員会発行)をお読みいただければ。

 上部児童センターは『覚十郎池』の跡です。農業用水の調達に苦心していた中萩では多くのため池の造成が行われ、その数は新居浜で最多と言われています。

ちなみに上部児童センターの外壁のデザインは中萩ゆかりのイラストレーター真鍋博氏によります。

 今話題の十河信二第4代国鉄総裁の生家跡が上部のぞみ保育園です。園庭南の松の木は当時からあるものです。ここから旧制西条中学まで、青雲の志を抱いて10キロの道のりを歩いた信二青年の姿を思うと、同郷の私たちもちょっと勇気が湧いてくるような・・

 普段何げなく出入りしている場所にも、このように様々な歴史があり、今の私たちに繋がっているということを心に留めておいていただければと思います。

今後も日ごろのサークル活動の成果を少しでも地域の皆さんに還元できればと思っています。

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